世界中の人たちとつながりながら、私もまたコロナと戦っている
こんにちは。
てらぴーだよ。
野々市にも感染者が出たと聞いた夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
自粛が日常になっていく。
とは言え、外出をせずにはいられない。
どうしても必要な食料とか日用品とかがあるからです。
ある種の困難は、日常の輪郭を彩ります。
私たちはどのような世界に生きていたのか。
いいとか悪いということではなく、その世界の形が表れるようです。
普段は気にもとめない世界がはっきりとした輪郭を伴う。
桜が満開の兼六園は、県知事の要請もむなしく、人出は例年の4分の1だとか。
観光客に限らず、ヒトやモノの流れは、まさに世界を覆っています。
その流れがほとんどストップした世界は、またなんとさみしいものでしょうか。
私たちの生活は、世界中から支えられていたのです。
大げさに言えば、私一人の生活を成り立たせるために、世界中の人たちが必要であった。
傲慢なことを述べているのではありません、それほど世界は近くなっている、、それほど世界は結び付いているのです。
もうほとんどの人が「隣人」なのでしょう。
おかしな話ではありますが、コロナウイルスが世界を結び付けた、いえ、世界の結びつきをあらわにしたと言っていいのかもしれません。
ニューヨークからの忠告に耳を傾け、イタリアの状況に胸を痛め、台湾の取り組みに希望を見、世界中の医療従事者に声援を送る。
様々な建物に入るたびに、私もまた、コロナと戦っているのだとうぬぼれたくもなるのです。
このつながり感をコロナが終息した後も持ち続けたいものです。