「後悔」いつでも意味なし

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

日焼けを気にするようになった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

半そでで自転車に乗ろうものなら、上腕の表側だけが黒くなっていく時期となりました。

 

下手すると、腕などが、「ツートンカラー」になっちゃいます。

 

いわゆる「ドカチン焼け」ってやつですね。

 

かと言って、全身を黒くするのも考えものです。

 

肘までも覆う長い手袋をするべきでしょうか?

 

さて、今日の予定であれ、今日の日記にしろ、書き込めるのは一つだけです。

 

何時から何時にはこれをする、あるいはした。

 

もう一つ(以上)の可能性もあったはずですけど、選べるのはひとつ。

 

なので、「あれをしておけばよかった」といった後悔は考えなくてもいいでしょう。

 

体も時間の流れも一つなので、同時に違う場所で違う何かを進めることなどできないからです。

 

どうしてもしたかったら、その時は、時間をずらすしかないでしょう。

 

ですから、予定では複数の選択肢が考えられても、実際に選べるのはひとつ。

 

予定にしても、自分だけのことならば、複数の予定もありですけど、他人との約束が絡むのなら、一つにするしかありません。

 

同じ時間帯に、違う場所で、違う人と会う約束を取り付けることはできないからです。

 

そうした選択の連続で、私たちの人生というものは出来上がっているのでしょう。

 

なので、繰り返しますけど、後悔はできないのです。

 

そう考えることで、いつも、毎回、「正しい」選択をしているのだと気づきましょう。

 

それがどんな結果をもたらすにしても、その選択は、それしか選べなかった、それを選んだということにおいて、「正し」かったのです。

 

ところが私たちは、「どうしてあんなことをしてしまったのか」「あの人と会うべきじゃなかった」などといった後悔を考えがちです。

 

それは、言ってみれば「過去」にとらわれるということ。

 

「今」はもうその時点から進んでいるのに、意識の方がいつまでも「過去」にいると、現在を楽しめません。

 

というより、「今」何が起きているのかも不分明になることでしょう。

 

そうなるとますます「自分は何をしているのか」といった事態にからめとられて、過去から抜け出せません。

 

できる選択はひとつ、そして自分は選択した、その結果は甘んじて受けよう、といった態度で、後悔をなくして、その分のエネルギーを「では、それらを踏まえてこれからどうするか」に注ぎましょう。

 

そのほうが前向きでしょ?

 

私たちの「頭」というか意識ってやつは、ほっとくと過去のアーカイブからいろんな「後悔の種」を探してきては自分に突き付けます。

 

「お前はあの時こんなことをしでかしたではないか」「あの時のあの選択が今の状況を悪くしているのだ」などと過去を「捏造」して思い出させるのです。

 

過去と今の繋がりなんてわかりません。

 

そこに過剰に「自分の選択の結果」を持ち込むべきではないのです。

 

どんな過去であれ、何を選択したのであれ、今こうして生きているのなら、それらは「正解」だったのです。

 

生きていれば、いくらでもやり直しもできるからです。

 

多少の不本意なことがあったにせよ、そんなものは「スパイス」に過ぎません。

 

過去に意識を向けても、それにはまり込むことなく、また、過去からの問いかけにも反応しないで、「今」を生きましょう。

 

過去の後悔を塗り替えるペンキは、前しか塗れないのです。