なぜ今日のことを詳細に覚えていないのか

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

買い置きのチョコレートが溶けていく夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

暑い1日となりました。

 

洗濯物はすぐに乾くけど、こう暑いとただでさえ少ない思考能力が奪われてしまいます。

 

おそろしいほどの計算速度を誇る「スパコン」も、その冷却のために、大電力による冷却を施しているのだと聞いたことがあります。

 

実は人間の脳みそも、本気で集中したら瞬時に「爆発」してしまうくらいのエネルギーを使うらしいです。

 

それが「爆発」とはならないのは、どこかで「ずる」をして、エネルギーを使っていないから。

 

我々の脳って、実はずるがしこい奴だったんですよね。

 

世界、というか外界を認識するにあたり、見慣れた、いつもの「景色」に対しては、新たにデータを作るより、過去のデータを呼び出して、認識するみたいです。

 

なので、新たに集中力100パーセントなんかで認識しようとすると「ボン!」でなことになるのでしょう。

 

「人は脳を5パーセントほどしか使っていない」と言われる秘密がこの辺にありそうです。

 

ということは、今日を振り返ったとしても、そのすべてを覚えているわけではない、ということですよね。

 

もし朝起きてから今までを細大漏らさずに「すべて」覚えていたら大変です。

 

何を見ていたのか、その「景色」を写真のように思い出していたら、大変なデータ量になることでしょう。

 

世の中には、写真を撮るように記憶できる人がいると聞きますけど、Youtubeか映画ででもあるかのように、オールカラーでハイビジョンで再生できるものなのでしょうか?

 

それとも、自分が関心のあった映像だけ、細部まで詳細に録画再生できるのでしょうか?

 

音に関しても、朝から今までに聞いてきた下界の「音」を再現できても、あんまりうれしくありません。

 

音楽ならまだしも、近所を走る車の音とか、外で遊んでいる近所の子供の声とか、どう考えても、覚えておくべき今日の音といった理由が見つけられません。

 

匂いでも、ご飯とかお茶、コーヒーなど、その時に感じていればそれで事足ります。

 

よほど特別な、いい匂いの食材とかお茶なんかをいただいたのなら、今日の記念に覚えておいたほうがいいとは思いますが、匂いを感じた最初から最後まで覚えてなくても、どこかの「瞬間」が記憶されればいい。

 

逆に、匂いならぬ臭いがするものは、記憶からは削除したいです、というか無意識でそうなってます。

 

食べたものの味も、時間の経過に従って覚えているというより、今日口にしたものはこんな味がするものたちでした、という「ダイジェスト版」で記憶の倉庫に収められているようです。

 

こうしてみてくると、私たちの記憶は、いつの間にか自動でダイジェストというか、要約版のように短縮されてます。

 

しかもおそらく、同じような出来事、経験、さらには感覚は、「同じである」として、一括記憶されているみたいです。

 

よほどの味変がない限り、同じものを食べると、同じだったとして、同じファイルに入れられるので、例えば、「昨日食べた卵かけごはん」と「今日食べた卵かけごはん」は「同じ味」としてデータ的に区別されない、つまり、メモリーはそのまま、ということなのでしょう。

 

こうやって、少しでも労力というか記憶力を温存して生きているのでしょう。

 

なので、日記を書こうとして思い出そうとしても、断片しかよみがえってこないのにはそんな「脳を守る仕組み」があったのです。

 

全部覚えてたら、大変なことになってますから。