私たちの思考や感情はどこから来るのか
こんにちは。
てらぴーだよ。
ほとんど快晴なのに空気だけまだ2月な夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
ここで雪が降ったら、『なごり雪』の世界なのに。
でも、伊勢正三さんがつくり、イルカが歌うまでは、日本語に「なごり雪」という言葉はなかったと聞きました。
昭和な世界だけど、3月に雪がちらついたら、彼女との別れ、駅のホーム、そしてその雪は、三点セットですよね。
令和の今、新しい時代に、新しい別れは生まれるのでしょうか?
その別れにも、時代背景よろしく、AIが絡むのかな。
脳に電極を埋め込む実験が進んでいるようです。
これにより、何を考えているかがわかるとか、イメージしただけで外部の機械を動かせるとか、機械と人間の境目も無くなってきそうです。
そう言えば、体に装着して、思いものを持てたりする「パワードスーツ」なるものも研究が進んでいるようです。
軍隊だけでなく介護の現場でも、まさにパワーを発揮しそうです。
人が何を考えているのかが分かり、筋肉も動かせるのなら、将来、手首や指あたりに装着する、自動筆記スーツみたいなのが現れるかもしれません。
指先が切られた手袋みたいのを装着すると、脳と交信して(この時点で脳に電極が埋め込まれている)、考えたことを次々に文章にしてくれるという妖しい機械。
自動で筆記させるので、本人は字を書かなくてもいい。
ただ何を書きたいかイメージするだけ。
なので、本人が半ば寝ていても、電極が先回りして、それまでのデータから、「こいつがいかにも考えそうなこと」を内部のAIがディープラーニングしていくのです。
手を動かす機械は疲れ知らず。
電池が切れるまで、手を動かし続けます。
さて、どんな文章ができてくるのでしょうか?って、怖いわ。
表向きの、脳の表面に浮かんだ思考などならともかく、脳というか心の奥底にしまっておいた、門外不出の妄想とか書き出された日にゃ、目も当てられません。
あるいは、AIがその人の脳のおびただしいデータを解析処理して、本人にも自覚のない文章を生み出してきたら、受け入れるしかないのでしょうか?
「俺は、こんなこと考えたこともない」と否定しても、AIが、
「いいえ、あなたのこれまでのすべての記憶を、スーパーコンピューター富岳にも負けず劣らず計算した結果がこれなのです」
と言われたら、「え、そうなのか」と引き下がるしかないのでしょうか。
いったい私たちの思考や感情は、どこに宿っているのでしょう。
どこで発生しているのでしょう。
すべては脳なのでしょうか。
思考の感情も、すべて脳が作り出しているのでしょうか?
けれども、経験上、手が覚えていたり、手から発想が広がったりする体験を、多くの人がしていることでしょう。
思考だけでなく感情も、体の動きや皮膚の感覚で、左右されることだってあるはずです。
全身筋肉痛という言葉がありますが、全身脳とか、全身快楽、あるいは全身悪寒とか、そんな事態もあるでしょう。
確かに体各地からの電気信号で、脳内において、思考や感情として生まれているのかもしれませんが、例えば末端の神経で感じた時点で、感情となったりすることもあるのではないでしょうか?
また腸は、「第2の脳」とも呼ばれ、脳まで情報を上げなくても、免疫について判断しているといいますし、神経伝達物質の分泌も左右しているのだとか。
私たちの体って、思っている以上に賢いのかもしれません。
体が脳に先んじて、思考したり感情を生み出したり、あるいは脳の補助として活動したりしているのかもしれない。
だったら、脳に電極を埋め込んでも、そこでうかがい知れるのは、我々の思考や感情の一部ということになりますまいか。
AIは、体を持たない限り、人間のようには考えたり感じたりはできないのかもしれませんね。
紙に手書きで文字が書けるのは人間だけ、ということを今夜も実感しましょう。