世界の中心で夢を叫んでみる

Мさんへ。

 

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

その昔、『世界の中心で、愛を叫ぶ』という小説とそれをもとにした映画がヒットしました。

 

あなたの世界は、今どのへんですか?

 

職場が中心ですか、自分の部屋が中心ですか、それとも、サードプレイスみたいなところがありますか?

 

「グローバル」というのが、時代のキーワードになってます。

 

どうも、今を生きる我々は、「グローバル」な人材にならなければならないようです。

 

でも、グローバルってどういうことなのでしょう。

 

英語が喋れたらグローバル?

 

国際問題に関心を示してたらグローバル?

 

外国人の友達がいたら、外資系の会社に在籍していたら、上司が外国人であれば、海外に移住を考えていたら、パートナーが外国人なら、グローバル?

 

世界の中心は、今どこなのでしょう?

 

アメリカでしょうか?中国?それとも、イギリス?

 

欧米発のニュースに関心を持ってみたところで、どれくらい関われるのだろう。

 

あなたの職場では、どうですか?

 

仕事やプライベートで、外国または外国人と接することがあれば、関心も向くでしょう。

 

でも、そうでないとしても、グローバルであれというのが、時代の要請というものなのでしょう。

 

なぜなら、自分の関心とは関係なく、世界はどんどんグローバルになっているのだから。

 

例えば、スーパーに買い物に行くと、世界の結びつきの一端が垣間見えてきます。

 

僕は、社会の授業でも、子供たちにスーパーを見学させるといいと考えています。

 

食料品に限らず、その商品はどこから来ているのか、そこにどのような問題があるのか、「調べ学習」に発展させられもするし、ディベートも可能でしょう。

 

自分の足元が、いつの間にかこんなにもグローバルだったなんて。

 

スーパーも意外とグローバルなわけです。

 

大きな事件だけが、大切なのではありません。

 

日常の何気なさの中に、様々な問題は潜んでいるのです。

 

もちろんそれらすべてを、自分で引き受けることなどできませんし、その必要もない。

 

でも、自分の「守備範囲」を持つことは大切なのではないかと思っています。

 

まったく関心を持たないというのは、社会人としても寂しい気がします。

 

仕事を通じてこの社会に何を与えられるのか。

 

どのような価値を創造できるのか。

 

今はまだペーペーの平社員だとしても、見据えるその先に心ときめく何かがいて欲しい。

 

同じ仕事をこなしていてもですよ。

 

仕事に慣れて会社の中で出世でき、定年まで勤められれば何も言うことはないなんて、平成どころか、昭和の発想でしょう。

 

個人としてだけではなくて、とある会社で働いている社会人として、どこに行きたいのか。

 

何を目指しているのか。

 

夢は何か。

 

夢、という単語が恥ずかしいのなら、「生きがい」はどうですか?

 

何のために仕事に精を出すのですか、何をして楽しみますか?

 

日々の生活の中に紛れてしまいそうな、いつの間にか忘れてしまうかも、でもことあるごとに思い返して確認したほうがいいあなたの夢とは何でしょう?

 

自分を小さくしないで、「世界の中心」だと思って自分のこれからを考えたら、どんな映像になるでしょうか?

 

あなたはどんなあなたになってますか?

 

あなたの周りに、何がありますか?

 

「世界の中心で」あなたは何を叫びますか?