野帳を書き終えました

こんにちは。

てらぴーだよ。

野帳を書き終えました。

今回は早かった。

頑張りました。(笑)

で、引き継ぎの儀式です。

 

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目標が、1冊1週間なので、まずまずです。

本の抜き書きや自分の考えなど、今回は時間も取れた、ということですね。

もちろん、起きている時間全て野帳に向き合っているわけではありません。

他にノートとかメモとかカードに書いたりしてますしね。

でも基本的には、考え事をしたり、考えたことをまとめたり、毎日の「することリスト」を書き出したり、本やネットのこれは覚えておきたい情報を書き留めたり、読んでいていいなと思った本のまとめを作ったり、そんな書く時間が好きなのですよ。

だから、野帳かノートとペンがあれば何時間でも過ごせると思います。

たとえ牢獄なんかにとらわれの身になったとしても。

書くことには、心を落ち着かせる効果もあるようです、僕の場合。

もう10年以上前、父が長期入院することになりました。

重篤な病気だったので、母と二人で病院に泊まり込みです。(父も僕も一人っ子でした)

外出もできません。

その時に、なぜか売店でズボンのお尻のポケットに入る小さなノートとボールペンを買い求めて、自分のその時の心境とか書いてました。

なぜそのような行動に出たのか、今もはっきりとはわかりません。

それまで、そんなにメモの習慣なんてなかったのに。

でも本能的に、書くことが心を落ち着かせるとわかっていたのではないでしょうか。

そのノートは3冊に及び、この時は退院に至りました。

ノートにその時の心情などを書きつける、そしてそれを続ける。

時間ができれば書く、そんな癖がついたのが、この時だったのかもしれません。

思いついたら書く癖はなかったのですから。

父が退院できた後も、ノートに書く癖は残りました。

ただ、書くアイテムはノートから野帳に受け継がれ、今日に至るのです。

書くことは喜びです。

何も大したことを書くわけではない、でも、書くことでいろんな発見があります。

備忘録としてだけではなく、大げさに言えば、生きた証としてのメモ。

自分を動かしていくエンジンとしての「書く」という行為。

何かひらめいたら、いいえ、ひらめかなくても野帳を広げて書くことは大いなる楽しみです。

そう、野帳でなくてはダメなんですよ。(笑)