好きを掘り下げよう、そして生活に生かそう
Mさんへ
こんにちは。
てらぴーだよ。
人生を給食のように考えてない?
出されたものはみんな食べないといけない、なんて。
好き嫌いをしちゃいけません、てな具合に。
だけど、いのち短し恋せよ乙女だよ。
嫌いなことをしている暇なんてない。
嫌いな人と付き合ってる時間もない。
嫌いな場所にはいられない。
と言うより、「嫌い」に焦点を合わすのではなくて、「好き」にフォーカスしよう。
せっかく綺麗な公園にきているのに、犬のうんこがあったからといって、「犬のうんこがあった、犬のうんこがあった」って、そればっかり気にしてたら、せっかくの景色も楽しめない。
自分の好きを深掘りしよう。
自分が好きなものの何に引かれるのか、もっと探ってみよう。
例えばてらぴーは、映画を見るのが好きなのだが、映画の何が好きかといって、メイキングに惹かれてしまうのだ。
舞台裏というのか。
小さい頃、NHKの人形劇が好きだった。
「ひょっこりひょうたん島」、なんて知らないよね。
その人形劇そのものも好きだったけど、人形を操る方に、僕の興味は引かれていたんだ。
あの人形、どうやって作るんだろう、何でできているんだろう、どうやって動かしているんだろう。
そんなことをあれこれ考えながら想像しながら楽しんでいた。
映画もだから、メイキング映像がたまらなく好き。
長じて、造形の方には進まなかったけれど、裏方のスタッフをするのは好きだった。
そんなふうに、好きなものでも、もっと突っ込んで、それの何が好きなのか、どういうところに引かれるのか、もっともっと考えられると思うのだ。
さらに、好きなものがいくつかあって、それらの好きに何か共通点がありはしまいか。
例えば、野球が好き、ビールが好き、テーマパークが好き、・・・・・・とあげていって、それらを結びつけている共通なものが何かないか探るのだ。
自分のことだから、何かそこに通底しているものがあると思う。
それをこれからの生活、ひいては人生に生かしてみよう。
なぜならそれは、好きをつなげることだからだ。
もしかしたら、嫌いなこととか苦手なものに、その「好きの共通項」が見出されるかも知れない。
それは嬉しい副産物だとして、とにかく、毎日の生活を「好き」に染めていこう。
今日どれくらい自分の好きにひたれたか、最初は少なくても、徐々に広げていこう。
どうしても広がらない時間帯があるのなら、大きな決断も必要なのかもしれない。
人生は給食ではないんだ。
嫌いなものを我慢して食べなくてはならない義務なんてないんだ。
好きこそ物の上手なれ、これは本当に真実だと思う。