手書きで、認知症予防

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

そろそろ来年度の手帳が発売になろうかという今日この頃、「手書き」がもっと見直されてくるでしょう。

 

先日も、PHPのビジネス雑誌『THE21』が、手書きのプチ特集をしてました。

 

メインの特集が別にあったので(それは忘れました)、扱いは小さいものでした。

 

でもその中に、「野帳」が。

 

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ちょっと分かりにくいのですが、中紙と表紙のズレ具合とか、色が無くなっているけど、方眼の佇まいとか、野帳でしかありません。

 

キャプションにもどこにも「野帳」の「や」の字もない。

 

でも、野帳です。

 

まあ、100歩譲って、野帳ではなかったとしても、手書きの良さは変わりません。

 

どうして手書きは廃れないのでしょうか?

 

手と脳が連動しているからでしょうか?

 

手を使うことは、脳を活性化させるといいます。

 

認知症の予防にもなりますしね。(切実)

 

それに、手で筆記具を握ったりするあの触感。

 

これは、キーボードなどを打つのとは段違いの刺激でしょう。

 

「道具を手で握る」そして、「使う」、そこに人類の進化の再現があると言っていいでしょう。

 

手で書くのには、時間がかかります。

 

キーボードを打つのとは違って、「字を書く時間」がどうしても必要です。

 

特に漢字だと、余計に時間がいる。

 

その辺がめんどくさくて、手書きを嫌う人もいると思います。

 

でも、その、字を書いているわずかな時間に、おそらく脳は様々なことを考えているのです。

 

今書いている内容に関する記憶を呼び出したり、イメージを広げたり、次に書く内容を先取りして考えたり、手を動かすことで、脳はフル回転になります。

 

それに、手を動かして書くことは、言葉を選ぶ主体になれる。

 

キーボードを打つと、漢字への変換は向こう(コンピュータさん側)がやってくれます。

 

どの漢字か選んだりはしますけど、その候補を差し出すのも向こう(コンピュータさん側)です。

 

下手すると、何も考えず、向こう(コンピュータさん側)のいいなりに漢字を選んでいるかもしれない。

 

でもこれが、手書きだと、頭の中でものすごい速さで漢字を自ら選んでいる。

 

そうしないと字を書けません。

 

漢字を思い出せないと、しばし手が止まりますよね。

 

そして、言葉には、イメージというか、自分だけの記憶ももれなくついてます。

 

言葉を使うたびに、その記憶もまた、呼び出されているのです。

 

あまりにも早くて、気がついてないかもしれませんが。

 

てことは、普通に言葉を手書きするのにも、膨大な記憶を呼び出していることになる。

 

大変だ、こりゃ。

 

脳がパソコンなら、発熱量がすごいことになってそうです。

 

来年度の手帳でも、手書きが楽しめるかどうか、その辺りが焦点になると思います。