買い物が過去を塗り替える
こんにちは。
てらぴーだよ。
昨日のレシートスクラップ。
散歩の途中で買い物を済ませました。
買い物って、物と自分との物語を作ることだよね。
いろんなものがあるのに、何を買っても自由なのに、今日はこれを買った。
あれではなくて、これを買った。
そこに自分なりの理由とか、それまでの歴史とかが現れている。
はっきり表に出てくるものもあるし、背後に隠されていることもある。
だから、今までなんの関係もなかったものは、買いにくいと思います。
この「きゅうり」ってやつ、今日初めて買ったけど、どうやって食うんだ?ってことは、あまりない。
そもそも売り場に並んでいる段階で、目に入らないよね。
そのものとのこれまでのいきさつ、つまり歴史があるからこそ手にとるし、買うことにもなると思います。
あっ、きゅうりだ。この前買って美味しかったから、また買おう、とか、夏だし、まだきゅうり食ってないし、今日あたり食べようかな、とか考えてそのものとの新しい歴史を増やしていく。
だから多分、品物を見た習慣に、それまでの歴史とかが頭に蘇るのではないかしら。
武道家で思想家の内田樹先生は、思い出すたびに過去の記憶というものは、新しく更新される、という意味のことをおっしゃってます。
だとするならば、固定された記憶というものはなくて、思い出す瞬間ごとに新しく書き直されていることになります。
思い出は、思い出すたびに上書きされる。
「これまでこうだった」に、新しい事柄がつけ加わるのではなくて、新しい経験をするたびに、その経験を加えた新しい記憶が作られる。
きゅうりと自分との関係史というものは、固定されているのではなく、その都度、つまり新たにきゅうりを食うたびに新しくなる。
新しい経験が、それまでの記憶を作り変える。
自分というものは、常に更新された新しい自分である。
固定された「これまでこうだった」という歴史などないのだから、新しい自分、こうであったらいいなと思える自分をせっせとインプットしていけば、過去にこだわる必要もないってことですかね。
新しい自分に出会える買い物をしましょうか。