いいことだけを数えよう、ほかは無視
こんにちは。
てらぴーだよ。
もう夜は涼しいを通り越して寒いです。
雨も降ってきた夜に、手帳の時間です。
今日一日を丁寧に振り返りましょう。
1日の内にはいろんなことがあって、感情も上がったり下がったりでしょう。
何か一つでも嫌なこととか、自分の意に沿わないことがあると、「今日はだめだった」と考えがちです。
でも、どんなに運のなかった日でも、最悪なことが起こった日でも、何かしらいいことはあったはず。
でも、いやなことは、とても強く記憶されるので、「きょうなにがあったっけ」と振り返った時に、真っ先に存在感を示すのです。
しかも、図体も大きいので、「よかったこと」が隠れて見えなくなる、というおまけつき。
したがって、「今日はサイアク」と思い込んでしまうのでしょう。
その癖から脱却して、「いいこと」を数えられるようにすると、気分もまた違ってくると思います。
あなたがきれいな公園を散歩していたとしましょう。
で、犬のうんちがあった。
友達から「公園どうだった?」と聞かれて、公園のすばらしさには言及しないで、その犬のうんちのことばかり話したとしたら、友人も気分を害するでしょう。
「そんな話は聞きたくない。もっといいところがあったでしょう?」
1日をどうとらえるかもこれと同じ。
どこに焦点を合わせるのか。
それはあなたの自由です、自由ですが、その焦点をどこに合わせるかでその日の気分を自分で選んでいます。
その、どこに焦点を合わせるかが、あなたの人生観を作っていくのです。
「今日はこういう日だった、俺の人生もこういうものなのだろう」というふうに。
経営の神様・松下幸之助は、入社に際しての面接で、こう聞いたそうです。
「あなたはこれまでの人生で、自分は運がいいと思いますか?」
この質問に対して、「自分は運がいい」と答えられた人をのみ採用したのだとか。
運がいいとか悪いとかなんて、主観的なものです。
何か確実で客観的な基準があるわけではない。
でも、だからこそ、「自分は運がいい」と思える、その考え方を評価したのでしょう。
時には、最悪の事態を想定して、その準備を考えるのも大切ですが、すべての事態には対処できない。
どこかで打ち切らないといけない。
でもそれは、ここまでやったから大丈夫という線も引けません。
信じて進むしかないのです。
今日起きたことそのものには、マイナスとかプラスがあるわけではありません。
どんな文脈に置くのか、その捉え方が、その出来事を評価するのでしょう。
どこから見てもマイナスな出来事なんてないのですから。
マイナスと思えることはほっといて、よかったこと、犬のうんち以外のきれいなことに目を向けましょう。
今日何が良かったですか?
今日笑ったことは何でしたか?
今日誰を喜ばせましたか?
今日を無事過ごしたことで、喜んでくれるのは誰ですか?
今日も、生きててよかったではないですか。
明日、誰を喜ばせますか?