コーヒー飲んで、本読んで、野帳を書き継いで、なんて幸せ

ところでコーヒーの話だが、久しぶりにタリーズでまったり。

 

今日のコーヒー活動はミスドから。

 

でも、日曜日とあって、ほぼ満員。

 

ボックス席は空いてなくて、大きいテーブル席(カウンターみたいに座れる)もいっぱい。

 

狭いけど、二人がけの席に落ち着けました。

 

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色々広げてます。

 

本を読んで、抜き書きをして、いつも通りに楽しみました。

 

自分としては充実の時間です。

 

さて夕方、テンション下がってやる気なし。

 

でも気を取り直して、この辺では大きい書店の明文堂に行きました。

 

ツタヤとタリーズが入ってます。

 

最近、そのタリーズが、改装されてて、外向きにカウンター席ができていたり、何気にテーブルが増えていたり、2階にまで席が用意されていたりと、タリーズ、増殖してました。

 

今日はお目当ての本があったので、それらを買って、タリーズでお茶したのです。

 

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本との出会いというのは、不思議なもので、特に、「目が合った」としか言いようのない邂逅があるものです。

 

呼ばれているような感覚とでも言いましょうか。

 

いまのお前にふさわしいのは、この本だ、とでも言われているような、そんな出会い。

 

その時に、自分が考えていたこと関係する内容の本であることもあれば、一見関係なさそうだけれども、読んで見たら、ドンピシャだった本とか、いろいろです。

 

最近はもう、内田樹さんの本を読んでおけばそれで全てオッケーじゃないか、と考えるようになりました。

 

これはこれで、思考の停止ですかね?

 

時間が無限と思えるほどにあった(でもそれは勘違い)、20代に比べて、もう老い先短いので、栄養にならない本は、とにかく読みたくない、と随分わがままになってきております。

 

というか、とにかく今の自分には、内田樹が心地いい。

 

なんて明晰な精神、そして思考なんだろう。

 

この人の考え方の理路をとにかくたどりたい。

 

そして自分も、いつかそのように考えてみたい。

 

もちろん全く同じ軌跡をたどらなくとも、少なくとも、その深さのレベルにおいて、呼応し合えるような地点にたどり着きたい。

 

体も鍛えないと無理だよね。