「いつ見たのが初夢なのだ?」問題

あけましておめでとうございます。

 

本年もどうかごひいきに。

 

よろしくお願いします。

 

さて、お正月ともなれば、1年の始まり、ということで、何をするにも「初なんとか」がついて回ります。

 

初日の出、初詣、初春、初釜、初げいこ。

 

ま、中には「初喧嘩」なんてのもあったりするんでしょうけど。

 

それはともかく、気になるのは、「初夢」でしょう。

 

いったいいつ見たのが「初夢」なのか。

 

ちゃんとした決まりはないようです。

 

みそかから元日にかけて見た夢だとか。

 

ついたちの夜。あるいは、2日から3日にかけて見るのがそうだ、なんて意見もあるようです。

 

寝正月の人は、昼にも夢を見そうですから、昼の部はどうするんだなんて問題も加わるかもしれません。

 

ああ、ややこしい。

 

おまけに、夢というのは覚えてなかったりしますから、「はっきり見て覚えている夢を、日付に関係なく初夢と認定してほしい」という方だって、いないとも限りません。

 

確かに、ついたちの夜に見た夢が初夢、と決めてしまうと、その時見た夢を覚えてなかったりしたら、今年はその人は初夢なし、なんてことになるのでしょうか?

 

それはいくら何でも悔しいですよね。

 

かと言って、気に入らない夢は初夢にあらずとばかりに、気に入る夢が出てくるまで初夢は延長可、なんてことになると人によっては、夏ごろまでずれ込むかもしれません。

 

そんなのもう「初夢」じゃないですよね。

 

俗に、「一富士二鷹三茄子」なんてことを言って、江戸時代では、その絵を枕元にひいて寝ると、縁起のいい夢を見られたらしいですから、初夢を何とかしたいという欲望は、ずいぶん昔からあったのでしょう。

 

時代が下って、令和の今では、夢は「一富士二鷹三茄子」にお願いするのではなくて、ノートに手書きです。

 

手帳の後ろのノートページでも構いませんが、何しろ初夢なので、広いほうがいいでしょう。

 

ここで登場するのが、A4ノート。

 

大判でページ数もたんとあって、広げるとA3、申し分のない広さです。

 

書き切れなかったら、次のページに進撃して、どんどん夢を広げていけばいいのですから。

 

初夢は、ノートに手書きで決まりです。

 

こうなったら最高!というイメージや姿を、誰にも遠慮しないで、俺様的に、ナルシシスト的に(日本語では「ナルシスト」で定着しているようです)、中2病的になっても気にしないで、書きなぐりましょう。

 

夢だから。

 

「こうなりたい姿」に制限をつける必要もないでしょう。

 

タガを外して書きなぐると、意外な自分の欲望が見えてくるかもしれません。

 

でもそれは、隠れていたけど自分らしい心からの希望だったりしますから。

 

自分を否定しないで。

 

「ああ、自分はこれをしたかったのだ」「これが本心だったのか」と気づくことで、悩みやもやもやの原因が分かり、その分すっきりするかもしれません。

 

心の深いところで、あなた自身が「こうしたい」「こうなりたい」を育てていたのかもしれないのです。

 

また、そんな自分を認めて欲しいと願っていたことだって考えられます。

 

書きなぐる効果には、「隠れていたものを明るみに出す」ということもあるのです。

 

そしてそれは間違いなく前進であったり進化なのです。

 

手書きの力は絶大です。

 

そして、あなたを裏切りません。

 

どんなことが出てきても、それは必要なことであり、あなたを成長させたり、さらなる高みへと導くものであったりします。

 

ノートを開いて、「初夢」を見ましょう!