夜の散歩で、日記も書きやすくなるかも
こんにちは。
てらぴーだよ。
衣替えをした日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
冬物をしまっただけなんですけどね。
朝夕はまだ冷えるなあと思っていたのもつかの間、初夏らしい暑さに移り行きました。
手帳は、めくっても、日付が変わるぐらいで、季節を色濃く感じることはありませんが、日々の生活は確実に変化していきます。
手帳の中にも季節感が必要なのかもしれません。
自粛で、夜の散歩が日課のようになりました。
せっかくの機会なので、「今ここ」に集中すべく、歩いております。
歩行禅というのがあるそうです。
本式のは知らないのですけど、意識を歩く体に集中させていくそうです。
例えば、足裏の感覚に集中して、
「今左足が地面を離れようとしている、今離れた」
「右足のかかとが地面に触れて、かかとから前へ地面にくっついている」
といったように、歩いていく体を詳細にモニターしていくらしいです。
したがって、ものすごくゆっくりとした歩行になるかと思います。
本で読んだだけなので、実際にもそのようなゆっくりとしたスピードなのかはわかりません。
もしそうなら、普段の散歩では支障が出るのではと現実的な心配をしてしまいます。
僕の歩行禅は、「なんちゃって歩行禅」なので、足裏の感覚に意識を集めるだけで、歩くスピードは普段通りです。
でも、これがなかなか難しいです。
スニーカーなので地面の感触がダイレクトに伝わらず、重心が移動しているのがかろうじてわかる程度。
それに、すぐ、意識が別のことを考えてしまい、集中が途切れます。
呼吸との連動も合わなさすぎ。
夜とは言え、他の歩行者にも会いますし、車も通ります。
できるだけ大きい通りを避けて、住宅街の中を歩くようにはしています。
一端は還俗したものの、鎌倉で座禅のお稽古場を再開なされた、小池龍之介さんは、はだしで歩いていましたっけ。
現代の都市の中をはだしで歩くのは、危険が多いかと思いますが、はだしになれるところなら、積極的にはだしになるほうが、感覚的にもいいように思います。
1日の終わりに、日記を書こうとしても、考えなどがまとまらない時、体を動かすことで、逆に気分を落ち着かせることができると思います。
散歩に出て、ただただ体を同じように動かす中で、頭の中が整頓されていくのでしょうか?
「日記を書く」とか「手帳を見直す」というのは、それ単独で成立していることではないのでしょう。
気分良く書きものをするために、他の、例えば散歩などがお互いに影響し合っている。
それはもしかしたら、日中のまったく別の事柄ともつながっているのかもしれません。
頭と心、それに体のつながりについては、少しづつ科学的に明らかになってはいるものの、まだまだ解明されていないつながりがあるように思います。
そのメカニズムは不分明でも、どこかで何かの折に、その相互のつながりが実感されるのかもしれません。
なんちゃってな歩行禅でも、頭と心を鎮めるのに、いくらかは役立っているのでしょう。