寝る前の、手帳を使った、マインドフルネス
こんにちは。
てらぴーだよ。
これだけ寒いとあちこち縮こまってしまう夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
結局、「私」というのは、体頭心の複合体なのでしょう。
「魂」はどうした?とのご意見もありましょうけど、「魂」というものが、独立に存在しているとは考えにくく、体、頭、心の働きの総合として、ホログラフィックに浮かび上がるものではないかと考えます。
体(のある部分)が、例えば「痛い」とか、頭が今日は良く動くとか、心が折れそうといったものの言い方はできるでしょうが、それらから独立した「魂」というものは想定できるでしょうか。
とはいえ、魂はまだまだ未知の領域なので、関心を持ちつつ観測してまいりましょう。
それよりも先に、捉えやすいのが、体であり頭であり心なのではないかと思うのです。
私たちの毎日の生活というものも、この、体頭心へのインプットとアウトプットでできているのではないかと思っているのです。
食事や排せつ、運動や入浴、体に何を与えて、体を使って何をしているのか。
何かをする時には、体が基本になりますから、よく働くように、日々のメンテナンスは欠かせません。
その具体的なメンテナンスをどうするのかで、体のパフォーマンスも変わってくるのです。
同じことが頭にも言えましょう。
頭がよく働くために、「いい栄養」を与えないと「いい出力」を得られません。
何を自分の頭にとっての「いい栄養」だと考えるのか、その捉え方に、頭のパフォーマンスは左右されるでしょう。
もちろん、どのような出力=アウトプットを目指すのかが、栄養=インプットの質や量を決めていくのです。
さらに、人は、キカイではないので、何をするにもされるにも、「感情」というものが伴います。
今日1日、朝起きてからこれまでに、顔の表情がピクリとも動かなかったとか、気持ちが波立ってないというお方はいないでしょう。
朝、同僚にあった時に、同じ音階音量で「おはよう」とは言わないはずです。
ご飯がどんなメニューでも、規則正しく三角食べをする人もいません。
動作、発話、思考、そのいちいちに、感情が伴っているのではないでしょうか。
特に昨今、話題になることの多い感情が、「美しい」という美を巡るものです。
芸術作品であるかないかを問わず、美を感じる心というものは、私たちが健やかに生きていくために必要なものだと感じます。
何かを見たときに、聞いたときに、味わった時に、匂いを感じたときに、手で触れたりしたときの皮膚の感覚であったり、そうした語感もまた、私たちの生活に欠かせない事柄です。
さらに大切な感情があるとすれば、それは「笑い」でしょう。
今日1日誰とどんな状況でどれだけ笑ったのか、それもまた、生活の大切な要素です。
決しておろそかにしてはならない。
もし笑いが減って、感覚が鈍くなっている、例えば食事がおいしく感じられないとか、ということが続いているのなら、何かしらの改善点が、生活の中にあるのかもしれません。
五感はそのためのセンサーの役割も受け持っているのです。
一方、減らしたほうがいい感情もあります。
言うまでもなく「怒り」、です。
そのほかのマイナスの感情も、処理の仕方によっては、自分を傷つけるので、注意が必要でしょう。
さて、こうしたことを、つまり、今日1日、体と頭と心に何をインプットして何をアウトプットしたのか、ということを寝る前にでも振り返ってみましょう。
もう後は寝るだけ、という具合になったら、手帳かノートを開いて、今日の自分の体はどんなふうだったかなとか、頭はどうだったか、心の状態はどうか、ということをゆっくりとモニターしてみるのです。
それは、体頭心との小さな面談のようなもの。
「栄養」はきちんととれているか、何か不都合はないか、して欲しいことしたいことといったリクエストがあるのに我慢してはいないか、させてないか。
どれだけ笑ったろう、何に感動したっけ、聞いた音楽は何だった?これからしたいことは何?欲しいものや食べたいものは?
体、頭、心の調子を確かめながら、「会話」を進めていくのです。
それもまた、マインドフルネスと言っていいことだと思います。
では、手帳を開いて。