成長してたと思ったが、なかなかにそれはむつかしく、
こんにちは。
てらぴーだよ。
涼しい風が吹いてくる夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
日々の行動やその時の気持ちなどを日記のように「野帳」に書きつけています。
時には、「ホンネ」を湧き上がるに任せたまま、書きなぐることも。
言ってみれば、自分の、ありとあらゆる記憶なのです。
そうした記憶の集積が、今現在の自分を作っている。
また、日々同じようなルーティンを記しているようで、事態は、つまり運命といったものも動いているのでしょう。
単なる情報を書き連ねることもありますが、それも自分が選んだものなので、やがては何かしらの栄養となって、自分の一部へと、消化吸収されていくのです。
ですから、自分の日々を詳細に記した手帳や日記、ノートの類は、まさに自分のレシピとでも言うべきものなのかもしれません。
もちろんそこだけで自分が成り立っているわけでもないでしょうけど、自分の関心の在り様や、どこに向かっているのかの方向性は、垣間見えるのかもしれません。
同じようなことを日々書き記していても、そこに若干の違いが生じたり、微妙な違和感のようなものが混ざってくる時もあります。
そこに、何らかの進化があればいい。
日々同じようなことを繰り返す中で、少しでも成長していたい。
ただ年取っただけ、というのは避けたい、と思いながらも、何が自分にとっての成長であるのか、いまだはっきりとしたものは分かりません。
体の成長はとうに終わり、この先、体重が変化することはあっても、背が伸びることはないでしょう。
知識の量については、増やすことはできますが、単なる物知りに終わらないよう、気をつけなければなりません。
とはいうものの、何をどうしたら、知識が教養へと変わるのか、こちらも思案のままです。
心の成長は、はっきり言って、一進一退を繰り返しております。
日々いろんな気づきがあるはずなのに、手元に残るものの何と乏しいことであるか。
怒らないようにしようと心に決め、うまくいっても、その次の日には世間を、あるいは相手を呪っていることなどしょっちゅうなのですから。
いったい何を学んできたのか。
ぐるぐると、同じところを回るように見えて、実はらせんのように少しづつ上昇していた、と思っていたのに、自分の描くらせんは、立体構造ではなく、二次元でありました。
と、半ば自虐を込めて書きましたけど、成長をあきらめたわけではありません。
体も、身長こそはあきらめてますが、筋力はつけようともがいてます。
自分の体は、日々食べているもので作られていくように、頭も心も日々のインプットで作られたり更新されていくのでしょう。
ならば「今」が、自分史上最高の自分のはず。
あれ?どこで道を間違えたんだろう。