現実と、異世界を結ぶのは、チケット
こんにちは。
てらぴーだよ。
「今ここ」に意識を集中させる、マインドフルネスが流行ってます。
脳は、余計な考え事をして、「今ここ」から離れようとするので、その分、生の実感も薄れてしまう。
過去を思い出して、あれこれ後悔したり、思い出にふけったり、未来を想像して、とりとめもないことに時間を費やしたりするのは、エネルギーの無駄遣いというものなのでしょう。
「今ここ」にいる生身の自分を、どこまでもモニターしていくこと。そのことが、生きているという実感を感じられる、ということなのでしょう。
けれども、「今ここ」から離れて、異空間というか、まったく別の世界に遊ぶすべを、人は身につけました。
それは、例えば、読書。
文学作品を読むことで、その作品世界の中で、イメージを膨らませて、自分が今生きている「今ここ」を離れることができます。
とくにすぐれた作品が持つ世界観は、多くの人を魅了しています。
例えば、登場人物は、現実のひとではないのに、友人のように思えたりすることさえあるでしょう。
それから、映画。
まったくの受け身で、ただただ映像に身を任すこともできますし、自分から、映画の見せる世界に働きかけて、自分なりの解釈を、映像に与えることもできます。
つまり、自分の世界をイメージの中に作ることもできます。
映画を見終わった後の高揚感たるや、映画によっては、すごく大きいものがあります。
自分が主人公にでもなったような錯覚。
そういった疑似体験もまた、映画の魅力なのでしょう。
そして、演劇。
自分は客席に座っていて、目の前には舞台があって、そこでは物や人がある。
けれども、演劇が見せるのは、舞台上のモノや役者ではない。
それらが作り出すイメージとしての、「今ここ」ではない世界。
しばし、現実を離れて、想像の世界へといざなう装置。
舞台そのものは、ただの建造物ですが、それが、山の中になったり、ビルの谷間の裏道になったり、城内になったりします。
役者だって、年齢を超えることもあるし、場合によっては性別でさえ変わる。
演劇を楽しむコツは、だから、いち早く、その世界に没入すること。
想像力勝負、です。
人間の想像力は、ここではないどこか、いまではないいつかへと広がる世界を作り出せるのです。
その、現実と異世界とのあわいにあるのが、「チケット」。
紙でできた四角い小さな紙片。
けれども、それが、広大な世界、豊かな時間へと続くひとときを、予約してくれるのです。
読書の場合は、チケットはありませんが。